なぜなら「演技」は虚構であり、その虚構にリアリティ(現実感)を与えるのは俳優の想像力だからです。
想像するには根拠や知識、その他の情報のあるほうがいいでしょう。それらはもちろん自分で調べたり、考えたり、他者の話も参考にします。
しかし、なにより「思いを遣る(対象に思いを馳せること)」すなわち「思い遣り」が大事です。
演技力を向上させるには「思いやり」が必要だということですね。
※私が言うべきことではありませんが…

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「展開されている状況や環境が明確に想像できていない」
あなたの登場する場面はそれぞれどんなところでしょうか。
季節は、時間は、場所は。
暑いのか、寒いのか。
空気の匂いは、食べ物の味は、痛みや疲労の程度は、地面の堅さはどうでしょうか。
はたまた相手役の今の気持ちはどうなのでしょう?
別に季節や場所を、ましてや相手役の気持ちや自分の役の気持ちを「演技で説明しろ」ということではありません。
要は「論理に基づいた想像」あるいは「実感」が演技をリアルにするものだと思うのです。
私事ですが、昔、「人を刺す」という演技をしなければならなかったことがあって、なけなしのお金で肉の塊を買って、それを庖丁で突き刺してみました。しかし、あれはなかなか突き刺せるものではありません。「突き立てる」くらいはできるのですが、「刺す」となると相当な力が必要で、その力を生み出すにはやはり相当な「気持ち」がないとだめだと思いました。
【対策例】
@台本から「場所」や「状況」を具体的に読みとる。
A可能な限りでいいので「本物」「現実」を体感する。無理なら擬似的に体感する(なけなしの肉の塊の例)。
Bネット上でいいので、舞台となる場所の画像や言葉の意味を検索し、調べる。
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私を含めてですが、最近は「思いやり」のない人が増えているように感じます。
先日、地下鉄のエレベーターの前に立ってカゴが下りて来るのを待っていたら、後ろから小走りにやってきたらしい初老の男が体当たりしながら私を押しのけて「上行き」のボタンをカタカタカタと荒々しく押すのです。ちなみに私も地上に出るためその「上行き」のボタンをすでに押していました。
男「これ、上に行くの?え?」と、私に訊きます。
私「ええ、私も上に行きますから」
男「エレベーターの前に立っていられたら(上行きか下行きか)分からんやろ!」
私「………」
男「わし、目が悪いんや! (エレベーターの)前に立たれたら困るんや!」
私「お宅の目が悪いかどうか私にはわかりませんわな? それに私がエレベーターの前に立っているのはお宅にも見えてるんですな?」
やがてエレベーターのドアが開いて、私とその男はカゴに乗りました。
すると男はカゴの中で障害者手帳を出して来ました。私に見せようというわけですね(笑)
エレベーターが地上階に到着したので私がこの男と障害者手帳を無視して外に出たのは言うまでもありません。