演技訓練の現場で演出からよく言われる「もっと感情を出して(表現して)」とか、俳優自身が言う「感情をどうやって表現していいかわからない」ということに対して、私は身も蓋もなく「感情は単なる結果」と言いきってしまっています(笑)
まあ、なにもかもひとくくりにして「感情」と言ってしまうほうがわかりやすい、いや、「わかりやすいような気になれる」のかも知れませんな

このブログの下記の記事も参考にしてみてください。
【演技のブログ相談室】VOL.4 ‐サブテキスト‐
この記事にもあるように外面的な行動の根本には内面的な行動があります。
私たちは外面的行動にばかり目を向けがちですが、その裏にある、はっきりとは目に見えない「内面的行動」に注意を注がないといけません。これは事実と真実の関係だとも言えるでしょう。ただし、事実と真実のどちらが大事かということではありませんので念のため…。でも、世の中の多くは「事実」にのみ目を向ける傾向があるように思うので、真実にもちゃんと目を向ける必要があると思うのです。
真実に迫る方法は至って簡単で、
「なぜと問うこと」
です。
すなわち「理由を問う」という行動は物事の本質に迫る疑問なのです。
皆さん、子供のころを思い出してみましょう。
大人や親に「なぜ?」「なんで?」といつも訊いていませんでしたか?
子供はいつも本質を知りたいのです。
しかし、いわゆる「大人」はやがてその本質を問う質問にこう答えます。
「なぜでも!」
「いいからやるの!」
そう言われた時から子供は大人への道を歩むことになります

大人同士の会話でもこれはあります。
理由を問われて明確に返答できない者は「考えが足りない」か「何かを隠している」ケースが多い(笑)
前者は「アホ」と言い、後者は「ズル」と呼びます(笑)
私はおよそ「教育」に携わる人間は、相手からの「なぜ」に真摯に答えられないといけないと思います。それがたとえ「大人の事情」であってもです。そんな「大人の事情」は賢い子供なら理解できます。
私が接してきた専門学校生は皆「賢い子供」でした。逆にアホ、あるいはズルだったのは○○や○○のほうです

おっと、話が逸れてしまいました

さて、「見てわかる、聞いてわかる行動」(=外面動詞)のみを至上とするのではなく、そこに至る「見ても聞いても解らない内面動詞」(悩む、困る、考える、苦しむ、逸る、楽しむ、喜ぶ、怒る、悲しむ、考えるなどなど)をセリフや動きから読みとることで、結果としての「感情」は表に現れて来る(=表現)のではないかと思います。
例えて言うなら、醤油そのものを何も加えずになめてみたらどう感じるでしょうか?
もちろん醤油そのものがおいしいということもあるでしょう。しかし、その醤油を刺身につけてみたらどうでしょうか? あるいは餅に塗って焼いて見たら? たとえば酢や砂糖を少し加えてみたらどうなるでしょうか?
それぞれに味が異なるのではありませんか?
演技も同じなのです。
単なる「喜怒哀楽」だけでは「表現に膨らみがない」のです。つまり「味にふくらみがない」ということになります。
最終的な「おいしさ」を表現するためには、途中でさまざまな内面的動詞(ほかの調味料)を正に「加味」することで表現はふくらみを生じます。
演技について悩んでいる人にはもちろん
演技とやらを教えている人に、これまでの3つの記事を送ります
