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2016年10月18日

演技は動詞で決まる

今更ながらですが、「演技」「動詞」「表現」が決まります。

例えば「セリフの言い方」の工夫に心血を注ぐ人がいらっしゃいますが、それだと相当に苦労を要すると思います。そして残念なことに、せっかく苦労して工夫を凝らしたつもりの「言い方」だったのに演出から「いや、そうじゃない」と却下されてしまうことも多いはずです。
まあ、演出もわかっていないことが多いのですが、それはただ単に形を意図的に変えたに過ぎないからなのです。
いわば服を変えることで自分のイメージを変えるようなことです。

そのように「言い方の変化」を付けられる人もいるにはいます。
そういう人は「引きだしが多い」とか「器用だ」とか「センスがある」とか「才能がある」というように評されることが多いでしょう。
でも、それが正当な演技だとみなされてしまうと、演技は「特別な人」だけができることになってしまいます。あるいは特別な訓練や勉強をした人だけのものになってしまうと思うのです。
しかし私は「演技など誰でもできる」と考えています。

演技は人間の行為、行動を現出することです。そう理解すれば「演技は行動の連続だ」ということになりはしませんか?

そこでここでは「セリフ表現」に関してサンプルを提示することにします。
いずれも「行動を変化させている」ことがお分かりいただけるだろうと思います。



お分かりいただけたであろうか…

動詞を変化させればひとつのセリフが様々な表情を見せ始めます。
「言い方の工夫」でダイナミックな変化はなかなか起きないのです。

表現をダイナミックにするには「そこにどのような動詞が現れるか」を論理的に読みとることが肝要です。





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2016年02月26日

【演技のブログ相談室】VOL.9 ‐感情表現‐ その3

プリンターインクはおおむねCMYKの4色ですが、最近はグレーとか特殊なクロとかも必要な機種もあります。人間の「感情」とやらも基本的な「喜怒哀楽」だけではないのかも知れません。

演技訓練の現場で演出からよく言われる「もっと感情を出して(表現して)」とか、俳優自身が言う「感情をどうやって表現していいかわからない」ということに対して、私は身も蓋もなく「感情は単なる結果」と言いきってしまっています(笑)
まあ、なにもかもひとくくりにして「感情」と言ってしまうほうがわかりやすい、いや、「わかりやすいような気になれる」のかも知れませんな

このブログの下記の記事も参考にしてみてください。
【演技のブログ相談室】VOL.4 ‐サブテキスト‐

この記事にもあるように外面的な行動の根本には内面的な行動があります。

私たちは外面的行動にばかり目を向けがちですが、その裏にある、はっきりとは目に見えない「内面的行動」に注意を注がないといけません。これは事実と真実の関係だとも言えるでしょう。ただし、事実と真実のどちらが大事かということではありませんので念のため…。でも、世の中の多くは「事実」にのみ目を向ける傾向があるように思うので、真実にもちゃんと目を向ける必要があると思うのです。
真実に迫る方法は至って簡単で、
「なぜと問うこと」
です。

すなわち「理由を問う」という行動は物事の本質に迫る疑問なのです。

皆さん、子供のころを思い出してみましょう。
大人や親に「なぜ?」「なんで?」といつも訊いていませんでしたか?
子供はいつも本質を知りたいのです。
しかし、いわゆる「大人」はやがてその本質を問う質問にこう答えます。
「なぜでも!」
「いいからやるの!」
そう言われた時から子供は大人への道を歩むことになります

大人同士の会話でもこれはあります。
理由を問われて明確に返答できない者は「考えが足りない」か「何かを隠している」ケースが多い(笑)
前者は「アホ」と言い、後者は「ズル」と呼びます(笑)
私はおよそ「教育」に携わる人間は、相手からの「なぜ」に真摯に答えられないといけないと思います。それがたとえ「大人の事情」であってもです。そんな「大人の事情」は賢い子供なら理解できます。
私が接してきた専門学校生は皆「賢い子供」でした。逆にアホ、あるいはズルだったのは○○や○○のほうです

おっと、話が逸れてしまいました

さて、「見てわかる、聞いてわかる行動」(=外面動詞)のみを至上とするのではなく、そこに至る「見ても聞いても解らない内面動詞」(悩む、困る、考える、苦しむ、逸る、楽しむ、喜ぶ、怒る、悲しむ、考えるなどなど)をセリフや動きから読みとることで、結果としての「感情」は表に現れて来る(=表現)のではないかと思います。
例えて言うなら、醤油そのものを何も加えずになめてみたらどう感じるでしょうか?
もちろん醤油そのものがおいしいということもあるでしょう。しかし、その醤油を刺身につけてみたらどうでしょうか? あるいは餅に塗って焼いて見たら? たとえば酢や砂糖を少し加えてみたらどうなるでしょうか?
それぞれに味が異なるのではありませんか?
演技も同じなのです。
単なる「喜怒哀楽」だけでは「表現に膨らみがない」のです。つまり「味にふくらみがない」ということになります。
最終的な「おいしさ」を表現するためには、途中でさまざまな内面的動詞(ほかの調味料)を正に「加味」することで表現はふくらみを生じます。

演技について悩んでいる人にはもちろん
演技とやらを教えている人に、これまでの3つの記事を送ります




posted by DNA計画 at 20:05| Comment(0) | 俳優 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月24日

【演技のブログ相談室】VOL.8 ‐感情表現‐ その2

プリンターインクの話ですが、多くのプリンターは基本的にC(シアンブルー)M(マゼンタ)Y(イエロー)K(クロ)の組み合わせですね。このCMYKの組み合わせというのは印刷会社でも同じです。
それぞれの(インク原液というのですかね)インクはあまりキレイじゃありません。でも、それぞれの配合比率を変化させることで多くの、膨大な色の変化を作り出しています。

閑話休題

前回は「」といういわゆる「原色と言えるべき感情」でも、それぞれの表現は双方向性を持っているという話をしました。なんとなくCMYKみたいだとお思いになりませんか?(笑)
「それなら演技表現というのは喜怒哀楽の双方向性を検討するだけでいいのではないか」という考えになりそうですが、実はそうではありません(笑)
それについては前回の冒頭で、「人間は感情に基づいて生きているのではない」ということを申しあげています。皆さんもご自分の日々の生活をふりかえればおわかりでしょう?
私たちは感情に基づいて生きているのではないということは自明ですね。

❶日々の生活の中で大なり小なりの何かの問題(課題)があって…
❷それを解決しなければならなくなって…
❸どうすればいいかと考えて…
❹できればこうしたいなという欲求もあったりして…
❺でもああなっては困るなという想像もあって…
❻実際にひとまずやってみて…
❼結果としてうまく行ったり行かなかったりして…
こら〜〜〜!!!
とか
やったぜーーーーー!!

というような展開をするのではないでしょうか?
「感情」は最後です(笑)
すなわち「感情」というのはあくまで結果にすぎないのです。

ついでに言うと、先ほどの❷から❼までの非常に簡略化した「行動」の中の例えば❺のところで「たぶんダメだろうな」という予想があれば❼の結果(感情)にも変化があると想像できるでしょう?
❷〜❻は「行動のプロセス」で、❼は結果です。

すなわち❶の問題提起(起承転結の起)に対してその人間がどのように思い、考え、そして行動したか(❷〜❻)ということによって結果としての「感情」❼はさまざまな「色合い」を見せるということです。
ほらね?
CMYKの話とつながるでしょう?(笑)

演出担当は「自分が予定した結果」を求めるかも知れませんが、その結果につなぐためには俳優の内面的「プロセス(過程)」が大事なのです。プロセスなく結果だけを出す演技はダメですし、そんな演技は、俳優自身やっていても面白くない。
演技は人間の行動を表現したもので、その行動が面白くない作品はダメなのです。
俳優自身が楽しめない作品は哀しいですな〜(笑)

次回は「感情表現」その3として、❷〜❻のプロセスについてもう少し解説してみます。


posted by DNA計画 at 11:34| Comment(0) | 俳優 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月22日

【演技のブログ相談室】VOL.7 ‐感情表現‐ その1

私が指導に赴く演技訓練の場(学校、養成所など)でもよく「感情表現」という語を受講生から聞きます。
どうも「演技とは感情を表現することだ」思い込んでいるのかも知れません。

寓話的な作品で「動物」が主人公(?)である場合もありますが、それでも演技はやはり「人間の姿(行動)」を表現したものだと言えるでしょう。では「人間が生きている」とはどういうことかと考えざるを得ません。その時に「人間は感情で生きている」ということになるでしょうか?

おそらく動物の基本的な感覚は「快」もしくは「不快」です。シンプルですね!
それが人間になると「快」はおそらく「喜」「楽」に分化し、「不快」は「怒」や「哀」に分かれるかも知れません。こうして「喜怒哀楽」すなわち「感情」というのは極めて動物的本能に近いものだと言えるでしょう。ところが人間と言う動物は複雑で、喜怒哀楽を「表現」する際に、それぞれがクロスオーバーされるものだと思います。(下図参照)

喜怒哀楽のクロスオーバー.jpg

「喜」を身体表現するならさしずめ「笑顔」でしょうか?
「怒」なら…なんでしょう…眉間に皺を寄せるとか、瞼を眉間に寄せていわゆる「目を三角にする」ということかも知れません。「声を荒げる」ということもあるかも知れませんね。
「哀」の典型的な生理表現としては落涙でしょう。
「楽」はむずかしいですが、ひとまずは「楽しんでいる」という状態なのでしょう(笑)

ところが人間と言う動物はそんな単純ではなく、複雑な表現を展開するものです。
例えば、「うれし涙」というものがあります。
これは「喜」を「哀」で表現しているのだと言えませんか?
映画を見たり小説を読んで「楽しくて泣く」ということや「感動して泣く」ということもあります。これは「楽」を「哀」で表現しているのではありませんか?
「大爆笑」とは「楽」を「喜」で表しているように思います。やがてその大爆笑で涙を流す(哀)かも知れません。
あまりに驚くようなプレゼントをもらって(喜)、「なんてことするんだ!」と「怒」で表現したあと泣いたり(哀)するかも知れません。

ほかにもさまざまな心理状況があって、人間は複雑な「喜怒哀楽」の表現をします。
「感情表現」と言っても人間が複雑である以上、あまり単純に理解しないほうがいいのではないでしょうか?

次回は、さらに「複雑な感情表現」とその根拠について説明します。
posted by DNA計画 at 18:57| Comment(0) | 俳優 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月15日

ある舞台を見ての感想2015

またもや、ある義理に駆られてある舞台を観てきました。

わざわざ言うことでもありませんが、やっぱり「つまらない舞台」でした(笑)

私が観劇に行くときに心がけていることは「虚心で見る」ということです。すなわち「先入観や固定観念を持たずに見る」ということです。これは私の「演出」の姿勢でもあります。

さて、舞台が始まって5分ほどで、この舞台の演出は「演劇」の専門家ではなく、映像(テレビや映画)の関係者だなと思いました。何しろ各場面が短く、それぞれの場面に脈絡が見受けられません。
そして、どのシーンにもBGMが必ずと言っていいほど入っています。これは(アホな)日本のテレビドラマの手法です。
カット割でつないで、それぞれのシーンの「雰囲気(フインキではなく、「ふんいき」)を作り出すことをメインにした演出です。しかも照明の当たっていないところでも俳優に演技させています。基本的に「舞台演劇」では照明の当たっていないところは「演技の場」ではないのです。逆の例を挙げれば「黒衣」が無になっていない状態です。
舞台装置にはおカネが掛っているだろうなと推測はされましたが、それとても残念なことながらあまり効果的ではなかったと思います。
演技はそれぞれの出演者が勝手な演技を展開していて、統一感や表現のベースが感じられません。
またセリフも日本のドラマよろしく「説明」ばかりです(笑)
まったく「つまらん芝居」です。何もかも「演出」が悪い!!

以上は具体的な問題点ですが、単純に「面白くなければ演劇ではない」という考えの私ですから、見ていて「面白くなかった」のは私にとっての事実でしょう。
そりゃあ、この舞台の関係者(演出やプロダクション)や、出演者の縁故・知人にとっては面白かったのかも知れませんが、あの舞台は「楽屋落ち」とも言うべき「自己満足」に過ぎないでしょう。
そういう演出や多くの出演者の皆さんにとっては「満足」できた舞台だったかも知れませんね?
ですが、そんな「自己満足舞台」(私どもはこれを「マスターベーション」と蔑称しています)ならお金を取ってはいけません(笑)
演出や出演者の自己満足舞台なら入場料は無料にすべきです。もちろん出演者にノルマを課してはいけません。(あ、出演者全員を「自己満足者」と認定しているならノルマもありかも…)

DNA計画のタレントである岩鶴は数年間、「クリスマス朗読パフォーマンス」という公演を開催していましたが、入場料は設定せず、「カンパ」で公演を開催しておりました。それでもお客様にご満足いただけるよう腐心していたと思います。「来てくださったお客様にヘタな演技は見せられない」からと、出演者には厳しく、かつ具体的なダメも出していました。また、少しでもクオリティの高いものをご来場者様に提供するために、自腹で値段の高い機材も次々に購入していました。
「すべてはお客様の満足のために」
を実践していたと思います。その「お客様の満足」こそが表現者の生きがいなのです。
それでも岩鶴は「あれで良かったのか」「こんな演出や表現でいいのか」「機材は十分か」と後悔し続けていました。

今日、拝見した舞台は、いったい「誰の満足」をめざしていたのでしょうか?
演出は「演劇」(表現)というものがわかっていない。
俳優は「演技」というものがわかっていない。
制作は「公演」というものがわかっていない。

そんな「舞台」公演がなぜか幅を利かせている日本の現実です(笑)


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2015年07月27日

【演技のブログ相談室】VOL.6 ‐テンポ‐

先日、ある演劇を見に行きました。
まあ、案の定なのですが、俳優が何を言っているのか、さらには「何をやっているのか」わかりません(笑)
これは発音や声量の問題ではなく、意味と速さの問題です。

まずセリフが表現する「意味」が明確ではない。ある種、これは俳優の読解力および表現力に問題があるのかも知れませんが、それを指摘し、改善させるのは演出の役目です。
次にセリフの口調の速さの問題です。
私たちは日常会話においても相手があまりに早口だと意味が理解できません。特に私などは頭が良くないので、ゆっくりと、しかも意味をちゃんと伝えてくれないとさっぱり理解できません。
ましてや演劇やドラマは「初めてその話を聴く(見る)」人がほとんどなのですから、ちゃんと相手(観客)が「この話を理解できるかどうか」を考えながら進めないといけないでしょう。その「観客」の代わりをするのが「演出」です。
ところが厄介なことに演出を含めてその作品に関わる人間は、すでに何度も台本を読んでいて内容がわかっているので「これで相手(観客)もわかるだろう」と思い込みがちなのです。
その結果「テンポ〜テンポ〜」と要求し、俳優は早口になってしまうのです。
こうして演劇の観客はいつも作品に置き去りにされてしまい、最終的に「演劇はつまらない」という恐ろしい事態を招きます。

作品におけるすべての表現責任者は「演出担当」です。

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「テンポの意味を取り違えている」
 
演出はよく「テンポを上げて」というようなオーダーをします。それを聞くと「早口」になる人がいます。
それは単に「巻き」ということであり、本来の「テンポ」ではありません。ましてや朗読やラジオドラマなどでは、原則として音声でしか情景を描写できないので、あまり早口にならないほうがいいでしょう。特に冒頭からしばらくはあまりに早口だと内容が理解されず、観客を置き去りにしかねません。
演技における「テンポ」というのは、「早口」ではなく行動を起こすきっかけの早さ、つまり「速さ」ではなく「早さ(早期)」なのです。
例えば、相手のセリフを聴き終わってから心を動かすのではなく、「聴いている最中に心を動かす」と、自分のセリフや行為が早期に展開され始めるということになり、それこそが「テンポを上げる」ということなのです。
「相手のセリフの意味をよりしっかり聴け」ば、テンポを上げることが可能です。

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2015年07月24日

【演技のブログ相談室】VOL.5 ‐表情‐

多くの演技の初心者が言われることのひとつに「表情の変化が乏しい」というのがあります。
その結果、指導の初心者も「表情筋の訓練」をさせたりします(笑)
また別な例として「フェイスリフトアップ」などと銘打って女性を集めて「表情筋」を鍛える講座もあるようです(笑)

確かにかつての「映画に登場する欧米人」は表情による表現力が豊かだったかも知れません。そして、その影響なのか、はたまた演出がアニメの見過ぎなのか、最近の日本のドラマでは、登場人物はキモチ悪いくらい「表情豊か」です(爆)
これを私は「アニメの実写化」と呼んでいます。

誠に傲慢ですが、いずれも「本質」を外しているのではないでしょうか。
中身のない「派手さだけを求めた表現」は空虚で、うるさいだけだと思います。
もちろん、「無表情にやること」が正しいとも思いません。「無表情」や「ボソボソしゃべる」というスタイルでモテている俳優もいますね。しかも「名優」だそうですよ。

まずは「中身」すなわち「こころ」の有無が大事です。
その「こころ」の動いた結果として「表情」の変化は自然に現れるのです。
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「顔で演技をする」
 
 これは「やりかた」に陥っている例です。すなわち、「こんな表情をすればこう見えるだろう」という「表情の作り方」で演技を成立させようとすることです。確かに「表情はその人間の心理の55%を表す」という研究結果もあるくらいです。しかし、内面的行動(サブテキスト)を「表情で説明」してはいけません。

 また逆に「表情筋」を動かすことで「こころ」を動かそうとするのも問題です。
これは、身体のある部分を動かすことによって心を動かそうとすることで、私はそういう身体の動きを「トリガー(銃の引き金)」と呼んでいます。
セリフを言う前に「う」とか「あ」とか「ん」というという短い音が付属するのも「言葉のトリガー」である場合が多いと言えるでしょう。
 「表情」を含めて、身体が動くのも言葉が口をついて出てくるのも「心が動いた結果」なのだと理解しましょう。
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2015年07月19日

【演技のブログ相談室】VOL.4 ‐サブテキスト‐

皆さんは演技やその他のレッスンで「表現しろ〜表現しろ〜」と言われ続けているのではないでしょうか?
しかし、そもそも「表現とは何か」がわかっていないと表現のしようもないのですが…(笑)
私は世間で「な〜んとなく言われていること」に明確な意味を持たせようとがんばっています。
そんなわけで私は「【表現】というのは、こころをすこと」と定義しています。
この場合の「こころ」とは単に「感情」ということではありません。
まずは「考え(思考)」ありきです。その「考え」が順調に展開すれば「喜ぶ」かも知れませんし、うまく進まなければ「困る」かも知れません。さらにその「困る」という状態が悪化すると「怒る」とか「悲しむ」という感情を表す動詞に変化することが考えられます。
いずれにしろ「思考」が様々に変化し、その「思考」が明確に表現されていることが重要です。
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「表現の変化が乏しい」

 この問題に対応する時に、多くが「言い方」や「やりかた」に陥るのです。ナレーションなどでもそうですが「(表現が)違う」と言われた時は、表現の本質である「考え方」「感じ方」「価値観」を変化させるとスムーズです。なぜなら「言い方」を変えても、実はそれによる本質的な表現の変化は少ないからです。
 しかし、「考え方」「感じ方」「価値観」をすぐに変化させられないという人は、まずは「メイン動詞(見て、聞いてわかる外面的動詞であり、絶対に実行するべき行動)」と「サブ動詞(表現に膨らみを持たせる外面的動詞で、内面に関わる動詞を特に「サブテキスト」という)」を台本から読みとり、それを明確にすればいいでしょう。特に重要なのは「サブテキスト(心理を表す動詞)」です。
新美南吉「売られていった靴」の冒頭のセリフを用いて説明しましょう。

新美南吉「売られていった靴」(冒頭)
 靴屋(くつや)のこぞう、兵助(へいすけ)が、はじめていっそくの靴(くつ)をつくりました。
 するとひとりの旅人(たびびと)がやってきて、その靴を買いました。
 兵助は、じぶんのつくった靴がはじめて売れたので、うれしくてうれしくてたまりません。
「もしもし、この靴ずみとブラシをあげますから、その靴をだいじにして、かあいがってやってください。」
と、兵助はいいました。

セリフは「もしもし、この靴ずみとブラシをあげますから、その靴をだいじにして、かあいがってやってください。」です。メイン動詞とサブ動詞、およびサブテキストを一覧にしてみました。

売られていった靴(動詞).jpg

 サブ動詞は演じる俳優の個性や解釈、また演出の意図によって変化しますし、複数ある場合は、どのサブ動詞を組み合わせるかによっても最終的な表現は変化します。料理で言えば「材料(メイン動詞)」と「合わせ調味料や付け合わせ(サブ動詞)」の関係です。しかし、それぞれの「動詞」を明確に実行することで「表現」が明確になります。
 以上のことから「表現の変化」というのは「動詞(行動、行為)の変化である」と理解したほうがいいでしょう。その「行動の変化」が明確かつ、素早くなされているのを「演技のキレ(が良い)」と言います。また、動詞(行動)、中でも「サブテキスト(心理的サブ動詞)」が明確かつ的確に展開されているのが「うまい演技」であるということだろうと思います。


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2015年07月14日

【演技のブログ相談室】VOL.3 ‐コミュニケーション‐

演技は「人間の行動を描く」ということを通じて、「人間とは何か」を考えることだと思います。
 そして、人間の行動というのは、多くが他者、あるいは外界とのコミュニケーションの上で起こります。
 ところが演技をなさるかたの中にはその「コミュニケーション」を二の次にして、自分だけで「表現方法」を考えようとする人もいます。
 尤も、演技の練習は共演者全員でできる機会がそれほど多くないという事情もあります。つい「自分だけでなんとかしよう」となさるのもわかりますが、セリフは言い方で成立するものではないということを理解なさったほうがいいでしょう。
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「相手役の表現とは関係なく、自分だけで表現および意味を完結させる」

 演技は「決められた段取りを間違えずに実行する」ものではりません。「稽古」も「段取りを固めること」を優先させてはいけないのです。
 ジャズやフュージョンなどの演奏でもそうですが、基本的な楽曲(演技で言えば台本が相当するでしょう)はあるものの、その音楽の流れは演奏者の「アドリブ」で構成されています。共演者の「アドリブ演奏」を「よく聴いて」、それを受けて「自分のアドリブ」を展開させます。これがセッションです。
 ですから極論すれば「セリフは全部アドリブだ」というのが私の考えです。
 ただし、「アドリブ」だからと言って好き勝手にセリフを変えて良いということではありません。「変る」のは事前に何らかの意思や考えが働いて「意図的に変更」するものであり、「変る」のは「その瞬間の心の動きに伴って自然に起こる」ことです。
 ただ、そのことに依って「内容」が変ってしまってはいけません。だからセリフの間違いは共演者皆でチェックしなければなりません。セリフが台本に書かれたものと変わるのは、受け取り方、言いかえれば「こころ」が違っていることが多いのです。

 「自分の演じる役のセリフ表現」を工夫するというのは大切なことですが、「言い方の工夫」は相手役が発する表現(こころを表に現すこと)との整合性がとれないことが多くあるのです。これを「(表現が)かみ合わない」と言います。スポーツなどの団体競技において言えば、「自分のプレーで自分で満足できればいい」という姿勢です。
 例えば自分のセリフにマークをつけている人はその可能性があります。
「マークをつけるな」ということではありませんが、むしろ意識としてマークすべきは他人(共演者、相手役)のセリフです。

では、どうすればいいのかというと、まずは「相手(役)の言葉をしっかり聴く」すなわち「受信」することです。相手の言葉を「受信」して、自分の「役の脳」でその意味を理解(処理)し、それから言葉を発する(送信)するというコミュニケーションの基本システムをしっかり実行なさったら良いと思います。

【対策例】
@明確に「役作り」をする。
A「言う(送信)」より「聴く(受信)」を優先させ、「役の頭で考え、感じること(処理)」を最優先させる。
B展開の予定を立てず、新鮮に反応する。そのために、実演時には「台本の中身を忘れる」ことが大切です。
  ※私は「セリフは覚えるものではない」と言います。


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2015年07月13日

【演技のブログ相談室】VOL.2 ‐想像‐

「想像力」は演技をする上で非常に重要な能力です。
なぜなら「演技」は虚構であり、その虚構にリアリティ(現実感)を与えるのは俳優の想像力だからです。

想像するには根拠や知識、その他の情報のあるほうがいいでしょう。それらはもちろん自分で調べたり、考えたり、他者の話も参考にします。
しかし、なにより「思いを遣る(対象に思いを馳せること)」すなわち「思い遣り」が大事です。
演技力を向上させるには「思いやり」が必要だということですね。
     ※私が言うべきことではありませんが…
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「展開されている状況や環境が明確に想像できていない」
 
あなたの登場する場面はそれぞれどんなところでしょうか。
季節は、時間は、場所は。
暑いのか、寒いのか。
空気の匂いは、食べ物の味は、痛みや疲労の程度は、地面の堅さはどうでしょうか。
はたまた相手役の今の気持ちはどうなのでしょう?

別に季節や場所を、ましてや相手役の気持ちや自分の役の気持ちを「演技で説明しろ」ということではありません。
要は「論理に基づいた想像」あるいは「実感」が演技をリアルにするものだと思うのです。

私事ですが、昔、「人を刺す」という演技をしなければならなかったことがあって、なけなしのお金で肉の塊を買って、それを庖丁で突き刺してみました。しかし、あれはなかなか突き刺せるものではありません。「突き立てる」くらいはできるのですが、「刺す」となると相当な力が必要で、その力を生み出すにはやはり相当な「気持ち」がないとだめだと思いました。

【対策例】
@台本から「場所」や「状況」を具体的に読みとる。
A可能な限りでいいので「本物」「現実」を体感する。無理なら擬似的に体感する(なけなしの肉の塊の例)。
Bネット上でいいので、舞台となる場所の画像や言葉の意味を検索し、調べる。
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私を含めてですが、最近は「思いやり」のない人が増えているように感じます。
先日、地下鉄のエレベーターの前に立ってカゴが下りて来るのを待っていたら、後ろから小走りにやってきたらしい初老の男が体当たりしながら私を押しのけて「上行き」のボタンをカタカタカタと荒々しく押すのです。ちなみに私も地上に出るためその「上行き」のボタンをすでに押していました。

男「これ、上に行くの?え?」と、私に訊きます。
私「ええ、私も上に行きますから」
男「エレベーターの前に立っていられたら(上行きか下行きか)分からんやろ!」
私「………」
男「わし、目が悪いんや! (エレベーターの)前に立たれたら困るんや!」
私「お宅の目が悪いかどうか私にはわかりませんわな? それに私がエレベーターの前に立っているのはお宅にも見えてるんですな?」

やがてエレベーターのドアが開いて、私とその男はカゴに乗りました。
すると男はカゴの中で障害者手帳を出して来ました。私に見せようというわけですね(笑)
エレベーターが地上階に到着したので私がこの男と障害者手帳を無視して外に出たのは言うまでもありません。

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