またもや、ある義理に駆られてある舞台を観てきました。
わざわざ言うことでもありませんが、やっぱり「つまらない舞台」でした(笑)
私が観劇に行くときに心がけていることは
「虚心で見る」ということです。すなわち
「先入観や固定観念を持たずに見る」ということです。これは私の「演出」の姿勢でもあります。
さて、舞台が始まって5分ほどで、この舞台の演出は「演劇」の専門家ではなく、映像(テレビや映画)の関係者だなと思いました。何しろ各場面が短く、それぞれの場面に脈絡が見受けられません。
そして、どのシーンにもBGMが必ずと言っていいほど入っています。これは(アホな)日本のテレビドラマの手法です。
カット割でつないで、それぞれのシーンの「雰囲気(フインキではなく、「ふんいき」)を作り出すことをメインにした演出です。しかも照明の当たっていないところでも俳優に演技させています。基本的に「舞台演劇」では照明の当たっていないところは「演技の場」ではないのです。逆の例を挙げれば「黒衣」が無になっていない状態です。
舞台装置にはおカネが掛っているだろうなと推測はされましたが、それとても残念なことながらあまり効果的ではなかったと思います。
演技はそれぞれの出演者が勝手な演技を展開していて、統一感や表現のベースが感じられません。
またセリフも日本のドラマよろしく「説明」ばかりです(笑)
まったく「つまらん芝居」です。何もかも「演出」が悪い!!
以上は具体的な問題点ですが、単純に「面白くなければ演劇ではない」という考えの私ですから、見ていて「面白くなかった」のは私にとっての事実でしょう。
そりゃあ、この舞台の関係者(演出やプロダクション)や、出演者の縁故・知人にとっては面白かったのかも知れませんが、あの舞台は
「楽屋落ち」とも言うべき「自己満足」に過ぎないでしょう。
そういう演出や多くの出演者の皆さんにとっては「満足」できた舞台だったかも知れませんね?
ですが、そんな「自己満足舞台」(私どもはこれを「マスターベーション」と蔑称しています)ならお金を取ってはいけません(笑)
演出や出演者の自己満足舞台なら入場料は無料にすべきです。もちろん出演者にノルマを課してはいけません。(あ、出演者全員を「自己満足者」と認定しているならノルマもありかも…)
DNA計画のタレントである岩鶴は数年間、「クリスマス朗読パフォーマンス」という公演を開催していましたが、入場料は設定せず、「カンパ」で公演を開催しておりました。それでもお客様にご満足いただけるよう腐心していたと思います。「来てくださったお客様にヘタな演技は見せられない」からと、出演者には厳しく、かつ具体的なダメも出していました。また、少しでもクオリティの高いものをご来場者様に提供するために、自腹で値段の高い機材も次々に購入していました。
「すべてはお客様の満足のために」を実践していたと思います。その「お客様の満足」こそが表現者の生きがいなのです。
それでも岩鶴は「あれで良かったのか」「こんな演出や表現でいいのか」「機材は十分か」と後悔し続けていました。
今日、拝見した舞台は、いったい「誰の満足」をめざしていたのでしょうか?
演出は「演劇」(表現)というものがわかっていない。
俳優は「演技」というものがわかっていない。
制作は「公演」というものがわかっていない。
そんな「舞台」公演がなぜか幅を利かせている日本の現実です(笑)
posted by DNA計画 at 04:57|
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